昭和50年05月10日 朝の御理解
御理解 第56節
「日にちさえ経てば世間が広うなってゆく。秘かにして信心信心はせよ。」
信心は秘かにしてと、日にちさえ経てばと、世間が広うなると、そういう信心をさして貰う。日にちさえ経てばと、いうならば時間さえ経てばと。時間というのは一切を解決して行くという意味だと思います。今西鉄、国鉄あたりが何か闘争日々まあ喧しい事ですけれども、それでも矢張り時間さえ経てば何とかケリが付いて行っておる。問題はそのうケリが付いて行っておるその間が大事である。その間が信心をせよと仰る事だとこう思う。いろんな事を勉強する。いろんな事が身に付いて来る。
例えば世間が広うなって行くと云う事です。お釈迦様のお話の中にあります、ある母親が子供を亡くした。もう毎日嘆き悲しむ そしてお釈迦様にその救いを求めて、死んだ子供が蘇る様な事は出来んものか、お釈迦様の御徳によって助けて貰えんものだろうかと。それでお釈迦様が、家々を廻ってね、仏様いうならば死んだ人のないお家を探し出して、そして願いに来たらそれを願うてやろうとこう言われた。
それでその母親はもう気違いの様になって、沢山の家々を廻った。あなたの所には死んだ人というのはないか、そういうお家は知らないかと言うて廻ったというのです。何処を廻っても親が死んだ兄弟が死んだ、子供が死んだと言われない家は一軒もなかった訳です。そうしておる内にお釈迦様が言おうとしておられた事を悟ったというのです。所謂一生懸命来る日も来る日も気違いの様になって、そういう家が一軒位ありそうなものだと探して廻った。そしたらそこに蘇りの助かりが受けられる。
そう信じてそう思って廻ったけれども、お釈迦様が探して来いと言われる様なお家は一軒もなかったという。そうしとる内に、言うなら日にちさえ経てば世間が広うなって来る。ああ自分だけが嘆き悲しんでおるけれども、自分の家だけではない。そういう悲しみを持った人は世間に沢山あるのだ。いや自分よりももっともっと、ひどい人があるんだ。ね、世間が広うなって来た訳です。だから世間が広うなって行くという云うならば見識を広めて行くというか、色々勉強させて頂くというか。
そこで私は秘かにして信心をせよと。秘かにして信心をさせて頂いて行く内にです、自分自身の心も豊かになり、又は心が広うなり、本当の言うならば中々お商売でも、さあ売れた売れたと云う様な、繁盛の時には中々自分と云う者を振り返る事が出来ませんけれども、この頃からいうならば売れない日が続く、そういう時にです、どこに売れない元があるのか、どこに繁盛しない元があるのかと、自分を静かに反省して見る私は時間を与えられたと思うて、おかげを頂いて行けばよい。
秘かにして信心をせよとと言う事はそう云う事だと思う。どうして自分の家だけこの様な難儀が続くだろうかと言うておるのではなくて、そういう時には愈々自分を解らして貰う時、自分を掘り下げさして貰う時、愈々反省の時間を与えられた時と云う様に、思うて行くと不思議に心が鎮まって行く。例えば是は私くし共が日々ここで御用をさして貰って、今日お参りが尽きない。もうそれこそもう日の中の、四時の御記念に立たなければならんと思うのですけれども、とうとう四時半になってしまった
。お届けが次から次と参拝がある、と云う様に時には中々ですけれども、一寸お参りが途絶えた時なんか、ここに座っておると、場合には眠気の付く様事もある。けれどもですじっとここで神様に打ち向かうて、静かにそれこそ静かに、秘かに秘かに信心が出来る。それが又とても有難いそれが楽しい。そういう時に、例えば誰かが参って来る どういう難儀な問題を持って来ても、もう本当に自分ももう言うなら心行くばかりに、自分自身お取次を頂きおかげを頂く様なお取次の出来るのはそういう時である。
そういう私くしは秘かにして信心をせよと云う様な時にです、私は身に付けたい事、ここで何時も所謂黙って治めると云った様な信心が、静かで静かで素晴らしい結果が生まれますですね。黙ってそれはもう例えば、その時の本当に言ったがよい、言わなければいけないと思う様な事でも、静かに静かにその事を思いよってご覧、決して言わんで済む事ばっかりですよ。そしてその結果は素晴らしいです。是はもう一寸した事でもそうです。ああ、言わんで良かったと思うです。
同時に先日から頂きます様に、私くしが裁かず私が決めない。そう云う様な生き方。静かに静かに兎に角日にちさえ経てば世間が広うなって行く。云うならば時間さえ経てば世間が広うなって行くのです、こりゃ注意の一つもしとかにゃいかん。文句の一つも言いたい。そう云う時にです、私くしは静かにして信心をせよと仰る。静かに自分の心を反省さして貰うたり、その問題なら問題の内容を、静かに考えて見るとです、言わんでも良い、文句を言わんでも良い事になっ来るだけではなくて。
その静かにして心を神様に向けると云う事が、どんなに有難い素晴らしい事だと云う事を体験させて貰う。そう言う私くしは信心を、静かにして信心はせよと云う事は、そう云う様な事だと思う。時間だ経って行くと云う事は、時間が解決してくれる。日にちが解決してくれる。是は普通一般でもいうならば、今の国鉄の闘争でも私鉄の闘争でも、時間が何とはなしにお互いの折り合いの付く様なおかげの受けられる。時間と云う物は本当に有難いものだと。
と云うだけではなくて、その間に勉強さして貰うのだと。いらいらする様な時もある。それを例えば静かにして信心はする。いらいらする様な時には、もうその問題は暫く棚の上にあげた様な気持ちで、いうなら前へすいらいらしながら進んでおったらろくな事はない。時間が遅れる様なごたる事は問題ではないと。言うならば足踏み状態にならせて貰うて、静かにしておると、時間が解決してくれる。
汽車の時間汽車に乗る様な場合であっても、もう出た後に行く様な事がある。まあ三十分も待たにゃならん。まあ一時間も待たにゃならん。それが急ぎの用などあったりしておると、心がやっぱり穏やかではない、いらいらする。ホ-ムをあっち行ったり、こっち行ったりしようごとある。そして上りに乗らなければならないのに下りでも来ると、それに一寸乗りたい様な衝動さえ感ずる事がある。
そういう時にです、日頃は読まない難しい本ども出して読んでおると、又女の人であったら、編み物でもちゃんと持って行ってる人もありますね。編み物どもしよると、いつ二十分三十分の時間は何時経ったやら解らん様にしておかげが頂けるものです。静かにして信心をせよ。だからその時間の功徳と云う事と同時にです、その間に身に付けるもの、勉強さして貰う物があって、始てあの悩みであった苦しみであった日々がです、秘かに信心さして頂てと云う所からそう言う所を通らなければ味わえない。
信心の味わいと云う物が感じられる頂かれる訳であります。私くし共はむしろです、そういう静かにして信心はせよと言った様な時間を作らなければいけません。又どんなにお釈迦様とその一婦人の話じゃ無いですけども、それこそあきらめようと思うてもあきらめられない、そういう時に私は、静かにして信心をする時だと その後に頂ける信心その後に開ける自分の心というのが、所謂信心しなければいけんのです。
秘かにしてるだけではいかんのです。秘かにして信心をすると云う所にです、そこにはそこの又、おかげがあると云う事。そう云う意味の事をここでは教えておられると思います。本当に時間のお徳という事、日にちが解決してくれる。お互いの感情問題でもそうです。その時にももう本当に、言うならば叩き合いでも始まりゃせんかと言った様な険悪な様な場合であってもです、それをじぃ-と辛抱させて頂いて、いうなら金光様金光様と心を神様に向けて、静かにそれを思わして頂いておると。
何時の間にか感情も和らいで、そしてその時は解決しなかった問題がです、嘘の様に解決を見るおかげになって来る。二、三日前西鉄のストをやってる時、ストがある事が気が付かんでおった人がやっぱり大分ある。どっか朝の御祈念、あの時は佐田さん、光橋先生でしたか、丁度当番だった。だからお父さん車で何時も帰られるのに、バスで帰る積りで遅れられた。そしてお掃除を終わられてここへ出て来て、あら今日は西鉄がストじゃったと云う事だったそうです。そしたら善導寺の原さんもバスで帰る積りで。
バスの停留所に待っておられた待てども、待てども自動車は来んのです。そしたらバスの小母さんが、今日はあなた幾ら待ちなさっても来ませんよち。そりゃ来ん筈ですよねストしとるのですから。こう云ううっかりした事もあります。そういう例えば時であっても、私はお繰り合わせを頂いておりますと、成程それが神様の御都合であったと云う事が解ります無駄ではない。信心さして頂いておるとです、それでまぁ誰でしたでしょうか。どなたかの車に便乗されたんですか あぁ栄四郎が送ってあげた。
れに例えば原さんも丁度間に合われたという、まぁ便乗させて頂かれたと言う事です。だからああ今日はもうバスがなかったから云うて歩いて行かんならん所を、そのううっかりしとったおかげでです、云うならば、次の車に拾うて貰える様なお繰り合わせ。そう云う所がです、私くしはあのう是は信心させて貰う者の、皆さん体験ある事でしょうけれども。お繰り合わせあぁうっかりしとった事までもおかげでと頂ける様になるのです。是がね、例えばバスに乗ったり、乗らなかったり。
車に乗って送って貰ったりと云った様な事だけではない。是が人生の大きな問題のね、岐路に立っておる時であってもです、そういうおかげの受けられる時があります。信心させて頂いとる者は、本当にそういう意味合いでも有難い。秘かにして信心はせよと仰る。秘かにしておる時に、愈々秘かにしてでなければ、感じ取られないおかげを受けたい。同時に日にちと云う物は、時間と云う物はそういう功徳があると言う事を解らして頂きたい。今日の御理解はそう言う様な事を感じました。
どうぞ。